トリビア

歴女が考えた!!時代を超えたおしゃれファッションコンテスト開催!

皆さんこんにちは。今回は、いろんな角度から日本史って面白い!と思っていただくため、勉強法ではなく、コンテストを開きたいと思います。
今回のコンテストの内容はずばり!ファッションです!!いくら古い文化だとしても、今につながる美しさが転がっている・・・今日はそんな内容を少しでも知っていただけたら嬉しいです!では、コンテストのはじまりはじまり!!

おすすめファッション~男性篇~

男性の服で歴史的なものってどのようなものが一番に思い浮かびますか?大半が長い烏帽子(えぼし)と呼ばれる帽子をかぶった百人一首のような服装か、武士の恰好だと思います。
今回はもちろん、そういった服装もさらっていきながら、よりファッショナブルなものをご紹介していきたいと思います。

その1:流鏑馬(やぶさめ)時の衣装

皆さまは流鏑馬をご存じでしょうか。まさにこの写真の通りなのですが、名前は知らずとも馬に乗って弓を弾いて的に当てる・・・と聞くとあ!あれか!!と思うかもしれません。
もともとは馬を馳せて矢を射ることから「矢馳せ馬(やばせうま)」から「流鏑馬」に変わったと言われています。
元をさかのぼれば平安時代に軍事的訓練のために行っていましたが、のちに武士のたしなみの一つになり、今では神社等で神様に捧げる奉納のイベントとして、またスポーツ流鏑馬なども流行っています。かれこれ1000年前の文化ですので、その時代によって衣装は変わりますが、どれもかっこいいですよ。

その2:伊達政宗の甲冑

伊達政宗は第17代目伊達藩藩主で出羽と陸奥(東北)を統治していました。
この三日月の形の理由には諸説ありますが、政宗のお父様が政宗の旗印(はたじるし:戦の時の目印の旗)を太陽に決め、兜を月にすることにより、太陽や月を神様、唯一無二の存在としてあがめたことから神仏の加護があるようにと決めたそうです。ただ、真ん丸お月様では太陽と見分けがつかないので三日月にしたそうです。この三日月だと、弓の形にも見えるので戦に勝てそうですよね!!

その3:平安時代の直衣(のうし)


最後がこちら、直衣です。(お雛さまですみません・・・)
一見西洋のドレスに比べて地味に見えますが、これがかなりおしゃれなんです。というのも、平安時代の貴族は生地の表と裏の色、重ねたときの色、袖からチラリと見えた袖の具合など細かくおしゃれしており、ここで女性にモテる貴公子になるため相当努力していたそうです。
今でいうところの、ワイシャツの裾をセーターからチラ見せさせて、コートはシックに見えるようにスタイリッシュに・・・と考えているようなものだと思います。
顔や家柄はもちろんのこと、この直衣もきちんとおしゃれじゃないとモテなかったのですから、当時の男性は今の男性より細やかさが求められたに違いありません。

おすすめファッション~女性篇~

さて、次は女性篇です。女性の服はどれも美しいですよね。その中でもおしゃれだと思うものを私の独断と偏見でチョイスしました。しかし調べれば調べるほど昔の女性は無理して頑張っておしゃれしていたんだぁと思います。私には到底無理です。
ちなみに女性篇は、今でも着るアクティビティがあるものを中心に選んでいます!!

その1:鹿鳴館(ろくめいかん)のドレス

鹿鳴館とは、明治になり欧化文化を発展させるために建てた建物で、外国人の要人や賓客を接待するための社交場やサロンのようなものです。
ここではこんな感じのマリーアントワネットとかが着そうなブリブリのドレスを着ていました。でも当時の外国人からしたらかなり粗悪な真似だと思われていたので鼻で笑われていたみたいです(笑)

※実際はもっとダサかったようです。

そしてドレスといえば腰を締め付けるコルセット。あまりにもキレイに見せたくてきつく縛られた人が気絶したこともあるそうです。自分の限界と戦っていたのでしょうか。
ちなみに、私も北海道でこの衣装を着たことがあります。とてもキレイでいい思い出になりましたよ!
※その時行ったのがこちら。「旧函館区公会堂」さんです。現在休館中のため、2021年まではやっていないそうです。

その2:大奥のお掻い取り

お掻い取りとは、絹の打掛(着物の上着)のことです。武士の女性の正装です。大奥の言葉では公家式にお掻い取りと言うのですが、一般的には打掛です。名前の由来は、着物の裾を引きずらないように掻き上げ取る(からげる)ことからだそうです。
この着物代、年間でどれくらい支給されていたと思いますか?大奥の中で地位の高い人(将軍の奥様や位が上の女中等)ですと、なんと600万円程度!!これ、1年の衣服代です。桁が少なくとも1つ多いです。中には金の糸を施したり凝った模様などで権力を表していたそうですよ。
ちなみに何回も同じものを着たり、ちょっと色味がダサかったりすると大奥では女性がひそひそと「あれはないよね」などと陰口をたたいていたことも。神経すり減ります。

その3:十二単

そしてやはりこれは外せない!!平安時代を中心に着用されていた十二単です。先日天皇の代替わりの際に女性皇族がたが着用されていたものです。だいたい重さは15キロ程度と言われています。この図にある五つ衣、こちらの布の表裏の色の組み合わせや袖からチラリと見える色の組み合わせでおしゃれかどうか判断していました。
ちなみに正しい名前は十二単ではなく、「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」と言います。しかも時代が下るにつれ、12枚よりも多く着用していたこともあったそうで・・・そうなると重さは20キロ越え。幼稚園児を常におんぶして歩いている感覚ですね。背が縮みそう!!

今回のまとめ

いかがだったでしょうか。今でも着物の色味などを見ると、きれいだな、美しいなと思うのは昔からの日本人としての感覚が残っているからでしょう。
衣装や文化からも歴史に触れるチャンスはたくさんあります。女性ものの場合は、結婚式等でも着用ができるサービスがありますので、ぜひ挑戦してみてはいかがでしょうか?
それではこれで今回は終わります。ありがとうございました。

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