トリビア

日本史の謎!なんでダメなの??不思議なマナー違反の秘密を解き明かせ!!

皆さんこんにちは。今回は、今では何の問題もない普通の行動が、昔はありえないほど恥ずかしく思えるものだったり、常識はずれだと思われていた!という内容をご紹介したいと思います。ちょっとしたエピソードなども交えて面白おかしくご紹介できたら、また日本史に興味を持ってもらえるのではないでしょうか。それでは、早速ご紹介していきましょう!!

顔から火が出る!?マナー違反


昔の衣装って、見ているだけでも着るのが難しそうであったり、着物などを見ると細やかなおしゃれが目立ちますよね。ということは、マナー違反も多そうですよね・・・スウェット上下でコンビニに行く時代とはわけが違うのです!!(笑)

帽子が脱げた!=衣服を全部脱いで歩いている

よく百人一首などで目にするコックさんのような高い帽子、ありますよね。烏帽子(えぼし)と言います。また、正装をしているときは冠をかぶっています。女性には特にそういった帽子をかぶっている様子はありませんが、平安時代などの男性はどの絵巻物や肖像画を見てもきちんと被り物をしていますよね。

ちなみに、庶民でもこのころはきちんと烏帽子を着用して街中を歩いていました。実はこのころ、男性が頭髪をそのままさらして歩くことはかなりのマナー違反!!実は、今でいうところの露出狂レベルの恥ずかしさだったというから驚きです。

なんなら服をすべて脱ぐよりも恥ずかしく、はしたないと言われていたのだそうです。

それを裏付けるようなエピソードがありますので簡単にお話します。

あるところに、藤原実方(ふじわらのさねかた)さんという和歌もうまくイケメンで有名な方がいました。一部小野小町の恋人だったともいわれている人なのですが・・・。

ある日、藤原行成(ふじわらのゆくなり)さんという男性ととある話で口喧嘩になります。そしてあろうことか実方は天皇の目の前で行成の冠を叩き落とすということをしてしまったのです!!これは行成がブチ切れる!!…と思ったのですが。

そのまま行成は無言で冠を拾い上げ、何事もなかったかのようにかぶりなおし、冷静に対処したのです。それを見て感動した天皇は、行成を昇進させ、実方は左遷させられた、というお話です。
実際にはこのようなエピソードはなかったともいわれています。もともと行成は頭もよくまじめに仕事をしていたので昇進をした、とのことなのですが・・・。

それだけ被り物は大事なものだった、と分かるエピソードでした。

名前を教えるだけでとっても恥ずかしい

平安時代や鎌倉時代ごろの女性で有名な人の名前を考えてみてください。「紫式部」「清少納言」「和泉式部」これはすべて本名ではありません。すべてあだ名です。
当時、女性の本名を教える、と言うことは「あなたにすべてをゆだねます」という意味と同じことでした。知っているのは両親や近しい親戚、夫くらいだったと言われています。

当時の風習として、本名で相手を呼ぶことはよくない事とされていました。日本語にはよく「ことだま(言霊)」という文化が息づいていて、簡単に言うと、言葉には霊力とかパワーがあると言われていたのです。
今でも「風邪かも・・・」と口にすると、本当に調子が悪くなったりする「病は気から」という精神がありますよね。放った言葉には力があるんだ。という文化はどことなく残っています。
つまり、本名を気軽に呼ぶこと=その人本人を言葉の力で支配できる!という考えがあったので、男性でも●●少納言、●●大臣、●●院などと自分の役職や家のある土地の名前を付けて呼んでいたのです。

男性は外の仕事をしていますから、公的文書に名前を残す必要があり、今でも名前を調べることができますが、女性は誰かの奥様になる、ということも多かったので本名が残っていない人が多々います。先ほど例に挙げた3人も本名は残っていません。
もし女性が名前を知られるということは、今でいうとクレジットカードと銀行口座の暗証番号とノーメイクと寝顔を知られるくらいすべてをさらけ出す意味合いがあったと思われます。長く付き合っていてもそこまでは無理ですよね・・・。

ちなみに浦島太郎の「乙姫様」ですが、「乙姫」とは一番下の娘、と言う意味です。つまり、乙姫様には上に数人姉がいたのだと思われます。当時の女性は天皇に仕えたり、天皇の奥様になる時に公的文書の記録など、どうしても名前が必要となったのであとから名前をつけた、と言うこともあったようです。

※ただし、天皇の娘などの公的な立場にいる方々はどうしても書類で必要だったので、名前が公表されています。今の皇室も予定などが皆さんに筒抜けですので、その辺は似ているかもしれません。

命にかかわるマナー

皆さまは、今マナーに命をかけていますか?と聞かれると、んなバカな!と思うかもしれませんが、当時は命を削ってでも守らねばならない風習や、普段やらないからこそやってみると危険だった!ということがあります。次はそんなマナーを教えたいと思います。

走ったら倒れてそのまま・・・そんなことある??


冠を落とされたら衣服がない以上だった、とほぼ同じころ、髪の毛をなが~く伸ばしていた貴族の女性。実は彼女たちは身分が上の人の前などでは、膝立ちで歩く等の行動をしていました。これを膝行(しっこう もしくは いざり)と言います。厳密にいうと足をちょろっと出しては膝をつき、ちょろっと出しては膝をつき、と言うような歩き方なのですが、すり膝ではないものの、ほぼそんな風に見える歩き方でした。
普段は一応歩いていたのですが、そもそも女性はほぼお屋敷の中から出ることはなく、よその男性に顔を見られるなんてこれも体中すべてを見られるくらい恥ずかしい・・・。
女性が顔を見られる=結婚というような時代だったのですね。

しかも十二単という重たい衣装を身に着け、普段からあまり運動もできない状況なのに、貴族の女性はそれなりに良いものを食べていました。
そのため、激しい運動ができなかったと言われています。

「伊勢物語」という昔ばなしの中に「あづさ弓」というお話があり、その中には、昔の恋人を追いかけた女性が追いつくことができずに、途中で倒れてしまい、指の血で岩にラブレターを書いてそのまま無くなってしまった。という物語がありました。
それくらい激しい運動は女性にとって毒・・・すぐに発作を起こしたり心筋梗塞のようなものを起こしてしまったのでしょう。
このころの女性がタイムスリップして運動会なんて参加しようものなら医者が何人いても足りませんね・・・。
参考文献:楽古文

白粉、お歯黒はゲラゲラ笑いを封じる魔法?

お歯黒。聞いたことや知っている方も多いと思いますが、歯を黒くする、ちょっと不気味にも見えるあれのことです。

その起源は古墳時代までさかのぼり、古墳に埋葬されていた人もお歯黒をされていたと言います。昔は草や木の実などを使って染めていましたが、のちにカネミズと言われる原料に変わり、その上から野菜やお茶から抽出した「タンニン」を塗っていました。これは、酢酸に鉄を溶かしたものだったそうで、虫歯予防と口臭予防だったらしいのですが・・・つけているだけで体によくなさそうですね。

しかしお歯黒、とっっっっても臭いらしいんです!!そりゃ酢酸と鉄が口から匂ったらやばいと思います。口臭予防なのに臭いって・・・。

そんなお歯黒は長く愛されていた日本の文化で、時代とともに用途は変わっています。例えば成人の儀式につけたり、結婚をしたらつける、ということもありましたし、お葬式などの大事な人生の節目や別れにつけるマナーとしても浸透していた時代がありました。
ちなみになぜこんな事をするのかというと主に3つの理由がありました。

メモ

・昔は黒は高貴な色、とされていたので、歯も黒くしていたと言うこと。
・昔は儀式のために抜歯をしていて、その習慣が次第に歯を塗って抜けているよ  うに見せたということ。
・女性が歯を思いっきり見せてにかっと笑うのははしたないと言われていたの     で、黒くすることにより歯の印象が薄まると言われていたこと。

 

なるほど。理由が様々あり、文化としてもマナーとしても確立していたのですね。

そして白粉(おしろい)。真っ白に顔を塗るあのメイクです。今のファンデーションです。
原材料は、なんと水銀!!中毒になってしまいます!!それがゆえにでしょうか。平安時代の女性は平均27歳で亡くなっていたとも言われています。27歳と言うことは・・・大卒5年目程度で寿命ですね。はかなすぎます。

昔は電気もない時代。おしろいを付けてお歯黒を塗った女性がお部屋で待っている。そこに男性がやってきて、恋が実を結ぶ・・・つまり薄闇の中で少しほほ笑むと、白く美しい肌に歯が黒く塗られているので口を小さくお上品に笑っているように、はかない美しい女性に見えるというわけです。
でも命もはかなく散ってしまっては元も子もありませんので、絶対真似をしないようにしてください。

今回のまとめ


いかがだったでしょうか。今も日本には細やかなマナーは息づいていますが、昔はもっともっとマナーを大事にしていたのですね。もし今私たちがタイムスリップしたら、知らない間に怒られるようなことをしてしまうかもしれません。
こういった今と昔の文化の違いで日本史を学ぶのも大事かもしれませんので、文化史が苦手な方も、日本史自体が苦手な方も、これを機に調べてみたら新たな発見がみつかるかも・・・ぜひ試してみてください!!

それではこれで今回は終了です!ありがとうございました。

-トリビア

© 2020 よっこいぶろぐ。